2024年1月、能登半島地震による液状化被害を受けた富山県高岡市伏木地区。
そこに、80年以上も地元で親しまれてきた「ヒミ時計店」の古時計がありました。
時を刻み続けてきたこの時計が、店舗の解体を前にして、新たな居場所――地元の伏木保育園へと移され、再び鐘の音を響かせ始めたのです。
この出来事は、震災からの復興と地域再生の象徴として、多くの人々に感動と希望を届けています。
背景情報:ヒミ時計店と古時計の歴史
高岡市伏木の中道商店街に店を構える「ヒミ時計店」は、80年以上にわたり地域で愛されてきた老舗時計店です。
そのシンボルともいえるのが、高さ約2メートルのゼンマイ式の古時計。
風格ある佇まいで、長年、店先で街の人々を見守りながら、毎日正確に時を刻み続けてきました。
この古時計は、地域の暮らしに密着した「時間のよりどころ」として、多くの住民の記憶とともにあります。
大きな故障もなく動き続けてきたその姿は、まさに「時代を超える存在」です。

被災の事実:能登半島地震と液状化の影響
2024年1月に発生した能登半島地震では、富山県高岡市も液状化の影響を受けました。
ヒミ時計店の建物もその被害に遭い、地盤が沈み、店舗が大きく傾いてしまいました。
安全上の理由から、公費による建物の解体が決まり、長年親しまれてきた店舗は姿を消すことに。
地域のシンボルだった古時計も、このまま失われてしまうのか――そんな不安の中、ある温かい決断が下されました。

古時計の移転と再始動:伏木保育園で再び「ボーン」の時報が響く
解体に先立ち、ヒミ時計店のシンボルであった古時計は、伏木保育園へと移されることが決まりました。
店主の親族である善光孝さんはこう語ります。
「商店街とか住民の方々に愛されてきた時計なので、ちょっとさみしい気持ちもあります。でも、新たな場所でまた動いて活躍できると思うと嬉しいです。」
引用:KNB
4月某日、時計は文字盤と振り子に分解され、慎重に運び込まれました。
そして午前10時、保育園の空間に「ボーン、ボーン、ボーン」という時報の音が響き渡ったのです。
園児たちは「おおきなのっぽのふるどけい♪」と歌い、笑顔でその瞬間を祝いました。

地域の声とこれから:復興の象徴として大切にされる古時計
伏木保育園の園長・西尾知子さんは次のように語っています。
「この時計はヒミ時計店さんの象徴として、地域の皆さんに本当に愛されてきました。私たちはこの伏木のまちのシンボルとして、子どもたちと一緒に大切にしていきたいと思っています。」
引用:KNB
地域住民にとって、古時計は単なる「時計」ではありません。
それは「過去と現在、そして未来をつなぐ存在」です。
保育園という“未来を育む場所”に設置されたことで、その役割はさらに大きく、意義深いものとなっています。

ネット上での反応と声:共感・感動・応援の声が多数
SNSや地域ニュースのコメント欄には、下記のような反応が多く寄せられています。
・「涙が出た。ただの時計じゃない、地域の心ですね」
・「震災を乗り越えたこの話に勇気をもらった」
・「保育園で未来の子どもたちと時を刻むなんて素敵」
地元住民だけでなく、他県の人々からも「こういう話がもっと広まってほしい」との声が多く見られ、心温まるニュースとして多くの共感を集めています。

まとめ:時を超えて動き出す希望の鐘
高岡市伏木のヒミ時計店で長年人々を見守ってきた古時計が、能登半島地震を乗り越えて再び時を刻み始めた――。
それは、単なる復旧ではなく、「心の復興」を象徴する出来事です。
地域の過去を背負い、未来を見据えて動き出した古時計。
これからも伏木の人々と子どもたちのそばで、優しく力強く、時を刻み続けていくことでしょう。
当記事は以上となります。
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