富山グラウジーズの専属ダンスチーム「G.O.W」のプロデューサーとして18年にわたりチームを率いてきたMARIEさん。
彼女の原点は、体育が苦手だった少女時代にあります。
新体操との出会い、安室奈美恵さんへの憧れ、そして富山でのダンス活動を通じて、どのようにして富山のダンスシーンを変えてきたのか。
当記事では、その軌跡を辿ります。
体育嫌いの少女時代と「新体操」との出会い
小学生の頃、運動が苦手で体育の授業が嫌いだったMARIEさん。
運動会の前には「雨で中止にならないかな」と思っていたほどでした。
しかし、兄の卒業アルバムで見た新体操部の写真に心を奪われ、「かわいい」「やってみたい」と感じ、新体操部に入部。
これが彼女の運命を大きく変えるきっかけとなりました。

挫折と努力、全国大会への挑戦
射北中学校の新体操部は全国大会常連の強豪校。
厳しい練習の中、2年生でレギュラーに選ばれ、北信越大会に出場するも、僅かな差で敗退。
「適当に練習していた自分のせいだ」と自責の念に駆られました。
その悔しさをバネに、土日も長期休みも朝から晩まで練習に励み、3年生の夏には全国大会で準優勝を果たしました。
安室奈美恵さんとの出会いとダンスへの目覚め
新湊高校でも新体操を続けたものの、燃え尽き症候群に陥り、夢や目標を見失っていた時期に、テレビで歌って踊る安室奈美恵さんの姿を見て衝撃を受けました。
「かっこいい」「こんなダンスがしたい」と感じ、再び情熱を取り戻しました。
20歳でダンスの本場アメリカ・ロサンゼルスに留学し、帰国後は東京で氣志團の全国ツアーやNHK紅白歌合戦などに出演。
しかし、安室さんのバックダンサーになる夢は叶わず、27歳で富山に帰郷しました。
G.O.Wプロデューサー誕生のきっかけ
富山に戻り、医療事務の仕事に就くも、やはり踊りたいという思いが募り、中学時代の新体操部の恩師を訪ねました。
その出会いがきっかけで、新湊のスポーツクラブでダンスレッスンを担当することに。
そのレッスンが新聞で紹介され、富山グラウジーズの目に留まり、2007年に「G.O.W」プロデューサーに就任しました。
以来、18年にわたりチームを率いています。

スタジオ設立と地元への想い
2025年1月、富山市上大久保に「MARIE DANCE STUDIO」をオープン。
東京から講師を招いたり、SNSにアップする動画撮影に力を入れたりと、新たな試みに挑戦しています。
「ダンスで生計を立てられる環境を富山につくりたい」と語るMARIEさんは、地元・新湊と現在暮らす富山市月岡地区の小中学校で外部講師としてダンスを教えるなど、地元への熱い思いを持ち続けています。
ネット上での反応と声
MARIEさんの活動やインタビューはSNSや地域メディアでも話題に。
・「夢を追い続ける姿に勇気をもらった」
・「うちの子もダンスを始めたいと言い出した」
などといった声が多数寄せられています。
G.O.Wのパフォーマンスやスタジオの活動は、今後ますます注目を集めそうです。

まとめ:夢を諦めない力と地方からの挑戦
体育が苦手だった少女が、憧れを原動力にダンスの道を切り開き、富山のダンスシーンを変える存在となったMARIEさん。
彼女の物語は、夢を諦めずに挑戦し続けることの大切さを教えてくれます。
地方からでも夢を叶え、ダンスで生計を立てられる環境を築くことは可能です。
MARIEさんやG.O.Wのこれからの活躍にも注目が集まることでしょう。
当記事は以上となります。
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